令和6年3月に北陸新幹線が
敦賀まで延伸しました。
敦賀駅近くの山中を走る
当時 日本国有鉄道
北陸トンネルは 昔 大火災が起き
多くの死傷者がでた記録が
以下のとおりです。
約50年前の1972年11月6日
午前1時4分ごろに
北陸本線のこのトンネルを走行中の
大阪発青森行きの下り急行列車
「きたぐに」の11号車の食堂車で
火災が発生しました。
「きたぐに」には
約760人の乗客がいましたが
乗務員を含む30人の死者と714人
の負傷者がでました。
死因は一人の溺死者を除いて
一酸化炭素中毒でした。
福井県の敦賀駅と南今庄駅の
間にある北陸トンネルは
1962年に完成し
その当時日本で2番目に長い
13.9kmのトンネルでした。

午前1時に敦賀駅を出て約4分後に
同列車は敦賀口から5.3km
付近の北陸トンネル内で
緊急停止しました。
乗務員らの手によって消火作業が
行われたが鎮火の見通しが立たず
規程に従って火災車両の切り離しを
2か所で実施したが
作業完了までに約40分
の時間を要しました。
火災車両の切り離し完了後に
列車を運転再開してトンネル内から
脱出させようと試みられたが
その矢先に火煙を媒介とした架線と
トンネル壁面間(または樋間)の
放電短絡によって送電停止に
陥ったことで列車を動かすことが
できなくなり
自力走行によるトンネル内からの
脱出は不可能になりました。
送電停止の影響によって
約760人の乗客乗員は
その多くは猛煙が充満した
暗闇のトンネル内に留まり
救助を待つか
またはトンネル出口へ向けて徒歩で
自力避難せざるを得なくなります。
一部の乗客は 北陸トンネル内に
緊急停車していた上り列車や
救助要請により出動した
救援列車により救出されました。
国鉄および消防当局による
救助活動は 敦賀口と今庄口の
両側坑口から また一部は斜坑から
実施されましたが 猛煙に阻まれて
いずれも難航しました。
総延長約14kmという大トンネル
の中間部で発生した
車両火災であるため
直接的な消火活動は一切できず
自然鎮火を待つしか
ありませんでした。
火災発生から約8時間半後の
午前9時30分ごろに火災は
自然鎮火により収まったが
全ての乗客乗員を
トンネル内から救出するのに
約10時間半もかかりました。

今日 鉄道事業者は
トンネル内で車両火災が
発生した場合は次駅やトンネル外
など避難可能な場所まで
走り抜けることが原則ですが
当時の日本国有鉄道は
1960年代に相次いだ
事故の教訓として
火災を含めて異常が起きたら
必ず列車を直ちに停車させ
危険がなくなるまで列車を
止めて対応すると定めていました。
北陸トンネルでは3年前の
1969年にも寝台特急「日本海」
の電源車から出火する
列車火災が起きていたのです。
この時 乗務員はトンネル内で
停車した場合には
避難や消火に支障があると判断し
列車をトンネル出口まで走行させ
そこで消火したことで
大きな被害は出ませんでしたが
規程に沿わない対処方法で
乗務員は処分を受けた
という過去があり
それが当時の「きたぐに」の乗務員
の脳裏をよぎったのかもしれません。

 

国鉄は北陸トンネル火災事故を受け
遅れながら火災対策に乗り出した。
1972年から1974年にかけて
実際の車両とトンネルを用いた
燃焼実験を行って安全性を確認した。
この結果、適切な素材、設備を
備えた車両であれば
トンネル内で火災が発生した場合も
停車せずに走り抜ける方が
安全であることが実証され
規程を変更したのです。

また新造車両は難燃材料
延焼防止構造の採用消火器
非常灯の設置 放送設備を
多重化することになり
トンネル内にも車両課設備や
避難経路表示などが追加され
安全面にも配慮が進み
事故の教訓として
今日に生かされています。